ちり・もや・かすみ

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大人は敵か。正論は敵か。 崖際のワルツ 椎名うみ作品集/椎名 うみ

変人には変人をうまく描くことが難しいと思う。狂人も然り。

例えば変人の作者が、自分のすることを当然と見なした世界観で物語を書くとしたら、その時点で世界は破綻している。 変人としてキャラ立ちした人物が出る作品には、少なくとも一人は常識を持った人物の眼差しが必要となる。いや、常識を持たなくても、誰かを客観的に判断する視点はかなり重要だ。変人とは、世間から浮いた存在としてそこにいなければならず、その世間を冷静に見つめなければこの手の作品は成立しない。

しかし、世間とは必ずしも正しいものだろうか?正論とは、本当にありがたいものだろうか? 正しさや正義は私たちに優しいだろうか。突き詰めていけば、正論こそが最も危ない武器になり得るのではないか。

椎名うみ先生の作品を読むと、そんなことを思う。

 

 

・「崖際のワルツ 椎名うみ作品集」椎名 うみ

青野くんに触りたいから死にたい」を読んだときにも思ったことだが、世間からズレた人物をさらりと物語に馴染ませ、溶け込ませて描くのがとてつもなくうまい。この作品集でその印象はより強まった。

前置きで書いたように、世間からズレた人物をこんな胸をざわつかせる方法で描き出せるということは、世間に冷静に向き合った上で、「変な人」に理解があるからかなあと思う。

 

以下、感想です。ストーリーにはそこまで踏み込みませんが、内容にはバンバン触れてますので注意。

 

 

◎ボインちゃん

「あんた 何で今日おっぱいないの?」

この台詞以降の子供の描き方はどこか楳図かずおを彷彿とさせる。気がする。さらしを見つけられたシーンのまおの表情の移り変わりも。

不思議な話だなと思う。構図はよくわかる。周りの同級生より早く胸が膨らみ始めた小学生の女の子の話だ。

タイトルは「ボインちゃん」だが、小学生の話なので本来気にするほど胸が大きいわけではない。しかし、小学生の同級生の中では目立ってしまうほどには大きいおっぱい。ただ、それが微妙な時期の僅かな成長だからこそ気になってしまうという。

おっぱい(とさらし)を追いかける女の子たちも実に小学生らしい無神経さなのだ。中学生じゃ、おっぱいで悩むことは珍しくないし、その悩みにもう少し真摯に対応すると思う。嫌と言う友達を追いかけてまで自分の好奇心を優先しない、はず。

本編とは少しずれるが、主人公のまおはその次の話にも中学生になって登場する。中学生になったまおだが、胸の成長は他の同級生と比べても特出しているしているわけではない。彼女の悩みは小学生ならではだったと暗に証明されているようで、合わせて完成されているような印象を受けた。

 

◎セーラー服を燃やして

ボインちゃんと繋がっている。小学生のとき「空気読めない藤」と呼ばれていた内藤が主人公。

これぞ変人より常識人の狂気が上回った話という雰囲気である。帯の「先生が超怖い」という言葉通りの内容。 何気ない会話から登校拒否をはじめた内藤の担任の丸山先生。目元に黒子があり、優しげで綺麗な先生だ。この人が正しいことを言いながら常軌を逸した行動をとるというある意味矛盾した大人なのだが、絵面のインパクト以上に些細な一言が妙に居心地悪い。

まお曰く、自分と内藤の所属する仲良しグループは自分たちを数えて4人だ。そうでなくても内藤やまおが他のクラスメイトたちと上手くいっていないとか、そういう描写は一つもない。

 

けれど先生のまおに対する台詞

「音楽室は 一人で行くの?」

「先生はいつもあなたの味方だからね」

「内藤さんのたった一人の友達のあなたがそれじゃ内藤さんが救われないわ」

 

先生が象徴的だが、内藤の母親も含めてこの話の中の大人は子供の話をきちんと聞き入れない。「今日こそ本当に話し合いましょう」という言葉が出てくるが、そこから始まる会議はとても話し合いとは呼べないものだった。大人たちは自分たちに納得のいく都合のいい答えだけを欲していて、内藤の本当の気持ちなどはどうでもいいことだというのが言葉の端々から伝わってくる。登校拒否の原因がいじめならばわかる、という具合に。

この大人たちの思考は、直接的で強硬手段をとった先生の行動よりずっと怖かった。

ラストまで読み応え抜群だ。 登校拒否の理由について「特に理由ない」と答えた内藤に「そんなことだろうと思った」「本当にお前は自由だな」と彼女のことを等身大で受け入れた同級生たちの様子は大人たちの言動との対比になっている。

それになんと言っても内藤が最後に見せる表情だ。こんなに大人だ子供だで比較した感想のあとに付けるのは抵抗があるが、内藤が見せた顔は彼女が「大人になった」ということを悟るのに十分なものだと思う。何かと折り合いをつけて生きていかなくてはならないんだなあ。

 

◎崖際のワルツ

一転、演劇の話だ。かわいい容姿だが、演劇をする上では誰もが一目で絶望してしまうような致命的な欠点を備えた華と、演劇の魅力に取り憑かれて理性と計算で劇も演者も操ろうとしてしまう律。

華は人の気持ちがわからない、何がいけないのかわからないから、本気の演技で笑われてもどうすることもできない。律は無自覚で相手の演技を縛ってしまう、人が傷付くことも躊躇わず言ってしまう、空気の読めないところがある人物だ。

入って即演劇部の同期内で爪弾きにされた2人が、原作からほとんどアレンジを入れていない白雪姫を寸劇で演じるところまでの話だが、この演劇シーンが面白い。華と律という2人の主人公たちの魅力に溢れている。ここはあまり触れない方がいい部分だと思うので省くが、なんと言っても華の顔がいい。美しい。

美しいといえば、この表情もシンプルでありつつすごく綺麗で良い。 ただ表紙を一目見ただけと、裏表紙含めて見るときとだったら全然印象が違う。

表紙の印象のみの場合。崖際ぎりぎりで、危うげな体勢で、満面の笑みを浮かべる華。体勢だけではなく、その笑みも心配になるほど危うげなのだが、彼女は幸福そうだ。狂気すら感じる。

が、彼女の手は誰かによって支えられている。誰かが差し伸べた左手が繋がれている。それが律なのだ。彼女たちの関係と、この話の肝を的確に描いた素晴らしい表紙だと思う。

 

見開きはこちら

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で見ることができる。椎名先生ありがとうございます。

 

 

短編集がなにせ大好きなので、次も期待しています。