ちり・もや・かすみ

は〜 来世来世

2018年上半期 選出5冊

 

お久しぶりです。いつの間にか2018年が訪れて、しかも今年初の記事になるみたいです。なんのことはない感想ブログですので、今後もこの調子でまったりお願いします。

 

それはそうとして、今回も今年上半期の読了本から何とか五冊を選出しました。迷いました。

今年の1月から6月までの半年間で、初読51冊の本を読みました。

 

内訳は

1月 8冊

2月 8冊

3月 5冊

4月 8冊

5月 9冊

6月 13冊

の計51冊です。

 

 

今回は当たり本も多かったですが冒険もしたのでイマイチな本もまあまあありました。期待外れも少し混じって……いや、楽しめないメンタルだったものもあったのですが。時間を置いて再読したいと思います。

あと、今までは結構「人があまり目をつけていないコアなところにも目を向けていきたいな」と思っていたのですが、やっぱり賞をとったりノミネートされたりしている作品が面白いんだという当然の摂理に辿り着きました。最近。気付くのが遅かったですね。

 

 

 

 

2018年上半期 選出5冊

 

 

やはり初読とはいえ今年出た本とか近年の本に限りません。気にしないでください。

選んだ5冊はこちらです。

 f:id:tkotomm:20180715114216j:plain

 

 

 

サラバ!(上・中・下巻) 西 加奈子

私が信じるものは、私が決めるわ。〜あなたも、信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。他の誰かと比べてはだめ。もちろん私とも、家族とも、友達ともよ。あなたはあなたなの。あなたは、あなたでしかないのよ。

 

文庫化にあたって読みました。直木賞受賞作。エンターテインメント性があるのはもちろんですが、人間の掘り下げが素晴らしいです。

イメージしていたのと違う展開でしたが、面白かった。何より上巻、中巻、下巻と、巻を追うごとに面白くなっていったのが良かった。ちょっと内容に触れますが、下巻で主人公が徹底的に打ちのめされ自信をなくし、性格まで暗くなるという展開があります。そこまで来て更に面白さが加速するものだから読みながらびっくりしたし、すごく興奮した。

 

物語は、「僕はこの世界に左足から登場した。」という文から始まる。

主人公は歩。彼の家族は姉と、両親を合わせた四人。彼の回想によって物語は進む。

彼の姉は、奇抜でマイノリティの自分でないと気が済まない。そんな姉をもどかしく思いながらも、自分かわいさ・努力する自分という意識のせいで姉の異常を受け入れることが出来ずに逆に大変な思いをしている母。大人しくあまり自己主張をしない父。……という家族構成のために「控えめで物わかりのよい子供として生きる」という方法で両親(主に母親)からの愛を得ることを学んでしまった歩。上巻では家族四人でエジプトに住む彼の幼少期を。中巻では家族が完全なる解散に至る彼の思春期を。下巻は彼が社会に出て以降の挫折から再生に至るまでの日々を描く。

 

両親のいいところを引き継ぎ、特に母の愛嬌や手っ取り早く言うと「ヒロイン」属性に似た遺伝を受け継いだ歩は容姿も優れていて人あたりもよく、結構長いこと自意識の高い嫌味な奴です。それも、回想形式なので書き方としてはそのことに気がついている風ですが、その時期の彼は自分の嫌味な部分に気が付いていない。

自分よりも優秀な人間・面白い人間がいることには触れつつ、言外にはしっかりと「でも特別な自分」と含ませて語られている。意識的に自分を抑制し、その「自覚している」というポーズに護られた自己愛をどんどん拗らせていくのがありありとわかるので正直いたたまれないです。自分の演出にしか興味ない。思春期らしいと言えばらしいですが、その自己愛の拗らせ方は歩も姉も大差ないと思います。姉は他の読書家の方の感想を読んでいると相当に嫌われている印象ですが、歩の気持ち悪さも相当だぞと思ってしまう。

下巻になって歩自身も「自分」に気が付くのですが、最終的に響いてくる姉の言葉がやはりいいです。姉は作中の七割……八割かもしれない、そのくらいの間やばい奴で困ったちゃんなので最初と最後で人物像がブレているという批評も多くあります。直木賞選評にも、物語としての不整合を指摘する声もあったようです。

私はそれらの声を無に帰すほど、姉のセリフについては心に響くものがあった。エネルギーや、本気の体温を感じた。

34歳の自分探し。自分と折り合いをつけるタイミングとしては遅い気がする。……が、20そこの若者が「人生とは〜」とか「人を信じるとは〜」とか言ってたって早すぎると感じて鼻白むと思うし、こういうのは年齢じゃないか。

 

主人公・歩の挫折後からが本当に見所なので、そこまでが長いけどみんなに読んで欲しい本です。芸能人の読書家たちもこぞって紹介した有名すぎる本なので今更なんですけど。

私たちはどうしても他人の目を気にしてしまう生き物です。人間だから。でも、自分が好きなもの・素敵だと思うもの・美しいと思うものを、必ずしも他人の目から見て同じように感じるものと合わせなくてもいい。SNSが発達し、簡単に批判出来る/批判される環境になってしまって、一層自分の好きなものさえ他人に管理されるようになってしまった。

別に、他人が同意してくれなくてもいいのだ。むしろ、その芯を他人に委ねてしまってはならない。自分の信じるものを自分で決める。いい考えだなあと思いました。

 

 

 

・グレート生活アドベンチャー 前田 司郎

「あんたなんでそんなに悩みもなく生きられるの?」

「あるよ」

「何よ」

地球温暖化とか」

 

前田司郎は、初めて読んだ『恋愛の解体と北区の滅亡』という作品のジョン・レノンと虎のくだりを読んでから、追いかけていこうと真剣に考えた作家である。世界平和を夢想するジョン・レノンも虎には勝てないし虎はジョン・レノンだろうが僕だろうが差別なく殺すのだ、みたいな文章だったかな。変な切り口で核心を突く人だなあと思った覚えがある。

こちらの作品は過去に芥川賞候補に挙がったものである。今年上半期には二度目の芥川賞候補に挙がった『愛が挟み撃ち』も発売されたが、私には『グレート生活アドベンチャー』の方がハマった。愛が挟み撃ちは、賞の候補作のわりには著者のアクが強く打ち出され過ぎていた。あのオチで賞とってたらそれはそれで面白かったとは思うが。

 

この『グレート生活アドベンチャー』という作品から引用した上の悩みにまつわる会話は、

 

加奈子はながく考えてから「未来が怖い」という意味合いのことを言った。僕は随分スケールのでかい恐怖だと思った。

 

と続く。じゃあ地球温暖化はどうなんだ。会話のほとんどが惚けているんだけど、妙に現状を表している気がするのが前田司郎の作風の特徴である。

この作品で言うと上記部分も好きだが、主人公が少女漫画を読んだときの考察が個人的に好きだ。少女漫画(中学生)の大恋愛を読みながら、こいつらこの先どうするんだ?たとえ二人が結ばれることになったとしてもせいぜいするのはチュー止まりだろう。ていうことは、こいつらはこれだけ全身全霊をかけて得られるものはチューってことになる。 ……というようなことを考えている。はっきり言って余計なお世話だが、その点については私も考えたことあるので思わず笑った。そうそう。特にティーン向けの少女漫画はまるでこれが運命の相手だと言わんばかりで、そこがいいわけだけど、最終もキスしかしないんだよな。結婚まで描くことはあるけど、それはそれで「アッ、あーーーそっか、十代の初恋兼大恋愛がこうなったか……」という勝手な喪失感を抱いてしまう。申し訳ない。私はあまりよい少女漫画読者ではない。

 

そんなとめどない考察をばら撒きつつ、この話の主人公は無職である。年下彼女のヒモをしている、職もないし金もないが、不安もない。ある意味で無敵、怖い存在である。基本的に馬鹿だなあと思って読めるのだが、彼の背後にある未来や生活について読者の方が不安になってしまう。このモヤモヤ感。

主人公は大抵呑気だが、時々我に返ることがある。彼は何かを決めたくなくて、しかし明確なゴールがない状態も嫌う。学業なら〇年で卒業、という区切りが設けられているのに比べ、就業にはそれがない。就職したら、成し遂げるべきものもなくだらだらと仕事を続ける日々が目に見えている。

彼が選んだ逃げ場はゲームであった。魔王を倒すことを目指す。明確なゴールが見えるゲームであった。しかし、それもいざ魔王を倒すという局面に辿り着くとゲームを放り出してしまう。魔王を倒すことをひたすら避ける。この心の動きが不思議と「わかる」と思ってしまう。これについては本当に嫌ですね。でもそういうところあるじゃないですか、誰しも。決定的な何かを回避したくなるところって。

こちらは文庫本で、表題作の他に1編の短編が収録されている。併録されているのは飛び降り自殺の飛び降り中の女性の独白で、1作延々と走馬灯という大変珍しい話。著者の着眼点には脱帽する。面白いが、着実に死に近づいている。不思議な話。

 

 

 

 

・学問 山田 詠美

友情などという野暮で硬質な言葉で邪魔されたくはないのです。親友というありきたりの役割を与えるには、心太は、あまりにも惜しい人なのです。

 

入り口や人物造詣はわりといつもの山田詠美だが、内容がちょっと意外で、全部読み終えるとぐっとくる。

仁美と心太と無量と千穂。四人はありふれた日本語で表すなら幼なじみであるが、親友というと少し違うし、恋愛関係に至ることもない。不思議で特別な関係だった。素子が途中で言っている、彼ら四人と「仲良くしたいと思っているが、仲間に入ろうとは思わない」という言葉が全てを表していると思う。素子は登場回数だけなら確実にこの作品の主要な登場人物だが、彼女はあくまで「四人+一人」の立ち位置から動こうとはしない。彼ら四人は、四人で一つの共同体のような存在なのだ。心太を中心、あるいは頂点として。

しかし、各々思うところはあるらしい。無量は心太の裏を理解し、たとえ彼から離れたとしても自分の意志はしっかり持つ。どんなに心太の近くにいても自立した一面がある。(これは彼が心太と同性だからか、交際相手の素子が共同体の外にいるからなのか。)千穂は、最初から心太のことが大好きだが、それは恋ではなく、麻薬にも似た依存性の執着だ。一旦彼から離れたことでその禁断症状を自覚したために、一度だけ心太と身体の関係を持ち、ようやく共同体から離れて自立することが出来た。

問題は、主人公の仁美だ。仁美は心太に捕らわれた自覚をしないし、彼に恋をすることもないし、身体の関係を結ぶこともない。そして、心太とは一定の距離感を保ち続けている。双子のように傍にいるし、重要なピースであることは互いに承知し合っているのに、それ以上踏み込まない。それを望まないからだ。どこまで共に歩んでも恋愛関係にないから、困惑した周囲は「友情」という言葉で仁美と心太を纏めようとする。しかし、二人にとっては正しいとは言えない。というよりも、仁美ははっきり不快感を示している。素子の言う「支配」が一番近いのかもしれないが、やはりそれも違うと思う。本当は、四人の共同体ではなくて最初から仁美と心太の二人が共同体だったのかもしれない。それにしては心太の存在が強く、上下がすっかり出来上がった関係のようにも思うけれども。

この作品の一面が彼らの人生についてである。それぞれの章は四人+一人の死亡記事から始まる。「まっとうして死にたい」という心太の言葉通り、全員が自分の信念を貫いて生き、亡くなったことがわかる記事が挟まれる。遺された者にはどんなに不本意なものだろうと、本人にとっては自分を偽ることなく「まっとうした」最期を迎えている。短命の人物もいる中で、その事実が影を落としているとは感じない。この小説はキラキラと、青春小説として輝く。爽やかで、刹那的な輝きだ。小説ラストの心太のコメントには特にその煌めきが詰まっている。

作品の持つもう一つの一面が、性の学びだ。作中で「儀式」と呼ばれる。欲望の愛弟子としての仁美が儀式を読み解き、研究をする。男のそれと自分の儀式との差異について。この儀式についての仁美の見解と、男性観がまた心太への盲信に繋がっていることは間違いない。視覚で、聴覚で、または直に触ることで。直接的に刺激されてようやく目覚める男性の官能を、仁美は疑問形で「自慰とか自瀆とか呼ばれるものは、幸せな夜の代わりなのか」と語る。目の前に女性がいないから、裸の写真やらをその代わりにする。代打として。それは仁美にない感覚だった。男性は直接的なものが必要で、それが手に入らない場合は「ピンチヒッター」が必要となる。女性はそれがイメージで済んでしまう。だから、本質的には「実物の男性の身体など必要ではない」という結論に至る。経験と思い出は具体性を伴うイメージとして必要だが、彼女の官能には肉体は不要なのである。

という仁美の男性観を受けての私の見解は流石に伏せるが、なるほどなと思ったのは事実だ。

それにしても、すごいことを言う。掘るほど結構下世話な小説の出てくる山田詠美だが、これはタイトル通り学問的観点から描かれているために、文章にもあまりいやらしさがない。この匙加減は流石の仕事だと思った。著者は真面目な作品も、ちょっとふざけた作品も書くが、前者のいいところが詰まっている。

この本の文庫版は解説が村田沙耶香だ。彼女の男性観も凄まじいものがあるが、山田詠美ファンを公言する村田沙耶香がこの作品から何を得たかがかなり赤裸々に書かれていてびっくりする。しかし、ある意味納得した。村田沙耶香の著書『星が吸う水』の中で女性同士が「エロさが邪魔」という主旨の会話をしていた。この作品を読んで、該当箇所が再度腑に落ちた気がする。

 

 

 

・星か獣になる季節 最果 タヒ

「17歳は、星か獣になる季節なんだって。今日、やった英文読解にね、書いてあった」 〜 「人でなしになって、しばらく、星か獣になるんだって。大人だからってひどいこと言うよね」

 

最果タヒは若手詩人だ。その名前は何かの詩集が読書メーターの献本企画にあがっていたときに知った。詩人というのもそのときに知った。本書はどこかのブログの感想で良かったと言われていたので単行本を探していたのだけれど、全く見つからなかった。文庫化で手に入ったのは嬉しい限り。

詩も書くのに小説まで書けるのか〜これで面白かったら本気で嫉妬しちゃうな〜と思っていたものだが、実際に面白かったものだからぐうの音も出ない。軽やかな文体で、読みやすかった。それでいて心の隙間を刺してくる言葉も多用されているあたり、詩人らしいのかもしれない。ちょっと詩も気になるほど。超絶明るくてハッピーで悩みもない思春期……とは真逆の青春を送った私のような人間ならぐっと心を捕えられてしまうだろう雰囲気だ。正直に言うと、上半期の五選を考えるのに、『サラバ!』に次ぐ二番目にこの作品を選んだ。そのくらい、一読して心に残るものがあった。

地下アイドルが殺人容疑で捕まった。そのアイドルのファンである主人公は、かわいいけれども「平凡」な性質を努力でカバーしているような彼女に殺人なんてことが出来るはずはない、と思い込んで彼女の無実を証明しようとする。実は同じアイドルを応援していた同じクラスの人気者・森下と共に。

あらすじからして暗い話で、事実明るい話ではないのだけれど、気分の重苦しさがさほど続かないのは著者の筆致によるものか。この話で大事なのは多分ストーリーの筋である「殺人」という大仰なものではない気がする。著者の描きたかった主題は、鬱屈とした青春。等身大の十七歳、その特有のギラつきやヒリヒリしたところ、選択の自由と不自由……といった部分ではないかと思う。ただ重苦しいだけの犯罪小説、加害者や被害者の心情に迫る社会派ミステリ、他にも少年犯罪に重きを置く作品などは国内外に既に数多く存在するはずだ。しかし、十七歳の「星か獣になる季節」をテーマに書くにあたって、少年少女が殺人を犯す物語であるというのがこの作品を唯一無二の青春小説たらしめたと私は思っている。

思春期は特に、見えている景色が全てで、客観的に見た善悪をあまり重要視しない。森下の「死ぬより捕まる方が楽だ」という台詞等からもその思考は伝わってくる。思春期の次の段階、『正しさの季節』が続編として併録されている。高校生を抜けた彼らが見つけた「正しさ」はどんなものか、本当に正しいと呼べるのか。

最果タヒ氏のあとがきが、内容補完とかいうレベルではなくかなり良い内容です。人を軽蔑すること・人から軽蔑されることでアイデンティティを勝ち得ていた、誰かを見下すことで安心していた十七歳というあの頃。この小説はこういう形態で存在しているのでちょっと尖っているが、やはり“こういう切り口の「十七歳を描いた小説」”でしかないのだ、と気付かせられた。

 

 

 

・工場 小山田 浩子

大体相手の妹をあんな風に言う口さがなさとそもそも喋り方の下品さ、思考の脳足りなさは早めに死んでおいた方が世のため人のためだ。あのような人間が正社員として社会の一員ヅラをしてのうのうと生きていて、我々兄妹のような善良で気弱な市民が虐げられて正社員の職も手にできないのは不公平極まりない。死ね、死ねと呟きながら何とか眠ったが、翌朝は大変に起きづらかった。

 

この引用部分は『工場』という作品内で唯一と言っていいほど攻撃的な箇所にあたる。そこまでやんわりと否定批判してきた文章が突然攻撃的になるのでなんか迫力あった。

この本を読む直前に『鳥打ちも夜更けには』という本を読んでいた。奇しくも働くことについての小説が続く形になったが、やっぱり自分が今の職に疑問を持っているからかなあ。この本を読んだら一層「やってらんねーーーー」って気分になった。やってられない。辞めたいよなあ仕事をさあ。

その街には就職出来れば勝ち組とされる大企業、もとい大きな工場がある。名も「工場」と呼ばれているその工場。何を作っているのかは不明。必要性も重要性も感じないような仕事をさせられる三人の話だ。

牛山佳子は職場を転々としているが、工場の正社員募集の求人を見て面接にやってくる……というのが小説冒頭にあたる。元はと言えば正社員の求人なのだが何故か契約社員に話が変わり、そのまま非正規雇用で雇われることとなり、彼女はただ書類をシュレッダーにかけるだけの仕事をすることになる。古笛はコケの研究を続けるべく大学に残っていたが、教授の推薦や周囲からの後押しで工場の緑化推進室という新設で謎の部署に一人入れられてしまう。具体的な指示も目的もない一人だけの部署だ。牛山佳子の兄は派遣社員として誰が何のために必要かもわからない文書を、今どきパソコンもなしで赤ペンを手に校正する仕事をしている。この三人を主軸とした「工場」の話である。

デフォルメされているところも多分にあるものの、職の不透明な部分にきりこんだ作品と言えるだろう。目的がわからない、自分の仕事が何かしら「前進」することに貢献しているかもわからないって純粋に生きている上で辛いことだよなと思う。三人もその都度仕事の意味や意義を考える素振りを見せるものの、次の瞬間にはまた工場の歯車に戻っていてそれもまた辛い。

牛山佳子は前の職も長続きせず、はっきり働きたくないことはわかっているのに、働くことを放棄してまでやるべきことも持っていないので働くという循環に陥っているわけだ。すごく刺さる思考回路だ。その通りすぎる。働きたくないが理由を聞かれても他にやりたいことがあるわけでもないので職が手放せないのは私も同じだ。そういう人だらけだろう、実際のところ。その彼女がやらされるのがひたすらシュレッダーをかけるだけの仕事。部署を設けて仕事にすることか?という程度の仕事である。

古笛はコケの研究という生き甲斐を持っている。親も自分の生き方を認めてくれているものと思っていたのだが、工場からの就職話が持ち上がった途端に舞い上がる様子を見せる。また、前述通りたった一人の部署に就いて専門の知識を用いて屋上の緑化に取り組むというのだが、それ以上の指示はない。謎の厚遇を受けて給料も多く、立場もかなり上なのだが、就いてから十五年になるのに十五年間も「こけのかんさつかい」を毎年開くだけで工場的には何の実践もあげていないらしい。

牛山の兄は元エンジニアなのに、派遣で何の役に立つのかわからない文書を赤ペンで校正する仕事をしている。誰が読むのか、自分たちのあとに読む人間がいるのかもはっきりしないものを真面目に読んで校正する。彼は三人の中では比較的仕事に前向きなタイプで、だからこそ仕事をやるからにはその意味を考える方だ。派遣を送り込む側の会社に自分の彼女が勤めており、恋人が見つけた求人で工場に派遣されているという意識もそうさせるのかもしれない。

順応はどこまで必要なのだろう、と考えさせられた。

作中には、ヌートリア、工場ウ、洗濯トカゲという架空の生物(この工場の環境に順応したとされる新種生物とみられる。ここで言うヌートリアもそうらしい。)が登場する。それら生物については、小学生が纏めたレポートによってなんとなく生態系が掴めるようになっている。この際だからネタバレを言うが、三人はラストシーンでそれぞれがこの架空の生物になります。なんでや。読書会で「カフカの変身みたい」って言われましたが、どうやら書く上での参考にはしているみたいです。あーーー私は工場ウになる前にとっとと仕事辞めたい。

この本には残り2篇の短編が収録されている。どちらもオススメだが、強いていうなら『いこぼれのむし』で、これも職についてがテーマにある。ただしこちらは職場での人付き合いの方で、『工場』よりも現実に沿った書かれ方をされている。人によってはこちらの方が共感するかもしれない。この短編は悪意よりも世渡りの部分が強調されているし、ぶっちゃけ『工場』よりも読みやすい。まあ今の悩みは人間関係とは別のところにあるから『工場』の方が刺さったのかな。気になった人には読んでいただきたいです。

 

 

 

以上5冊でした。

単行本を多く読んでいた半年でした。50冊以上読んだのに、今年の積読数60冊からなかなか減らない。そろそろ購入自体を控えた方がいいと思いました。真面目に。

あと個人的に他の作業が控えていても習慣として読めたら積みも減るのかなと思うなどしました。尾崎世界観さんが自身で小説を書くにあたって、書いていた期間が人生で一番本を読んだというエピソードを話していたことがありますが、つくづく格好よすぎる。その姿勢が。私ももっと読むスピードを上げていきたいです。

そんなことより本棚を整理しようとする姿勢ですよね。

 

やりたいことが多すぎる。