ちり・もや・かすみ

は〜 来世来世

2017年上半期 選出5冊

今年の1月から6月までの半年間で、初読30冊の本を読みました。
一応内訳としては
1月5冊
2月3冊
3月2冊
4月6冊
5月9冊
6月5冊
の計30冊です。

原稿の都合等でムラがありますが最近読書ノートを作った効果でかなりよく読めている方なので、まとめておきます。

 

 

2017年上半期 選出5冊

読んだのは今年出た本とか近年の本に限らないのですが、あまり気にしないでください。
選んだ5冊はこちらです。

 

 

・「ひきこもりの弟だった」 葦舟 ナツ
――いつか罰を受ければいい。長年の怠惰の罰を。そうでないと不公平だ。毎日歯を食い縛って生きている人間と、毎日だらだら好きなことをしている人間の未来が同じであってはならない。兄は不幸になるべきなのだ。

ライトノベルのレーベルとしてはとてつもないレベルの作品。喧嘩腰で読んだ。一気読みだったにも関わらず、読む度グサグサ心に刃が入って、たくさん傷付いた。
ひきこもりも傷付いている、苦しんでいる。よく言われる言葉ではあるが、私は納得いかないと思っていた。私たちが日々苦しまず生きているか?彼らと比べて楽して生きているか?彼らが頑張っていることは、私たちとそう差のないことで、取り立てて褒めるような内容になるだろうか?
ひきこもりと世間に触れて生活している人とを同じ「人間」という括りで扱わないことがそもそもの間違いではないか?そういうことを考えてきた。
この本は、兄側の視点に寄り添うか弟側の視点に寄り添うかで感想が別れると思う。私は弟側だった。彼のことを許したい、それと同じだけ許されたかった。
あそこまで拗れてしまった家族。ラストで母親と和解している描写だけ謎だったが、WEBの特別書き下ろしを読んでまずまず納得した。

帯「この本を読んで何も感じなかったとしたら、それはある意味でとても幸せなことだと思う。」
三秋縋先生の帯のコメントも良い。

 

・「マウス」村田 沙耶香
――職場、というものを、安心していくらでも真面目にしてもいい場所だと思っていたのに、知らず知らずのうちに、私は皆を働きづらくさせていたのだろうか。上手に、ほどよく、手を抜いて働けるようになったほうがいいのだろうか。

村田沙耶香作品は結末が猛スピードで過ぎ去っていくものが多い。こちらの想像力を突き抜けて、現実から遠ざかってしまうような感じだ。この作品にはそれがない。故に手堅く取っ付きやすくなっていて、いつもの話を知っているファンには「普通」などと言われているみたいだが、好きな作品だった。

いつも考えすぎてしまう、真面目で地味で普通の主人公。人の顔色ばかりを窺い、自分の意志よりも他人の目を気にしてしまう。
対して瀬里奈は、他人を気にせず、マイペースで、自分の心の昂りに任せて泣いてしまうようないわゆるキモがられる女の子で、小学生時代はクラスに混じった異物として村八分にされていた。しかし、瀬里奈は主人公の朗読したくるみ割り人形の「マリー」に感銘を受け、マリーになりきることで自信を持つようになる。
マリーとして堂々と生きるようになった瀬里奈は、背が高くて、段々と綺麗な女の子になっていくことから、「クラス内の異物」から「クラスで一番身分の高いグループ」へと異例の昇格をする。というのが小学生までのエピソード。
噛み砕くと女の子同士の友情の話だ。しかしそこは村田作品なので、ただただまっすぐな友情ではない。けれど、わかりやすくて、爽やかで、ハッピーエンドなのが良い。

 

・「愚者の毒」宇佐美 まこと
――人間はな、死ぬる前に帳尻ばちゃあんと合うようになっとるばい。

地方新聞に載っていたことがきっかけで読んだ。著者は同郷者です。
叙述ミステリーに見えなくもないが、メインは主人公の「半生」にある。
全体的に、薄暗くて妙に鬱々しい雰囲気。
このようなタイトルだが、この小説は一言で言うと「救い」の物語である。小さき者、弱き者の毒も大を殺すことがある。同時に、その毒は何より優秀な薬にもなり得る。
それぞれの登場人物にとっての毒が何なのか、それはどのような薬(救い)をもたらすのか。最後の一行まで読んでこれは読んで良かったと思った。

 

・「アリス殺し」小林 泰三
――「ああ、歯痒いわ!」
「掻いてあげようか?」
「いいえ、結構」

小林泰三が好きである。それはもう、本作でこのミスにノミネートされ一気に知名度を上げ、「アリス殺しの小林泰三」とか呼び出されたときに謎の反発心でそんな文句に釣られてホイホイ読むものかと思ってしまったほどに。つまらない意地を張らずにはやく読めば良かった。

普通のミステリとも、最近のこのミス隠し玉のように些細な一言でどんでん返しの待っている日常系とも違った独特な設定で進む物語であるが、思った以上にちゃんとミステリ小説している。
何より小林先生の文体とアリスの世界観の相性が抜群なのだ。不思議の国の住人は頭がおかしいから頭のおかしい会話をしている、という意識も勿論あるけれど、この作品に限らず小林作品はいつもこうだ。
井森が好きだった。真相を知ってから「井森と君は最近結構親しいんだろ」「亜理は井森が死んだら悲しむだろう。アリスはビルが死んで悲しいかはともかくとして」などのモノローグを読むと一層不憫でかわいそうだ。

 

・「火花」又吉 直樹
――僕の英雄を傷つける奴はたとえ正義でも憎悪の対象だった。

これを入れるとミーハーみたいだなあと思い、入れるか迷ったけれど、自分に素直な選出にしないと駄目だろって思ったのでやっぱり選びました。面白いので。

それにしても、徳永と神谷さんの関係、又吉氏の言葉を借りるなら、「……めっちゃ好きやん」。
徳永が神谷さんを盲信する図式からは、駆込み訴えにおけるユダがヨハネに注いできたのと同じ「愛」を感じる。自分がこの人の今の人格を生かさなければという献身的な愛情である。これは善や悪に左右されない。
主人公は「神谷さん」という誰にも迎合できない怪物を生み出してしまった共犯者として、怪物の自尊心を傷つけたり惨めな思いをさせたりしないように、彼の威厳だけは守り抜くために、心を砕く。そこかしこにあるそのための気遣いが痛々しくて美しいと思う。コーデュロイパンツのエピソード、真樹さんの家に二人で訪れるシーンなどはその象徴だった。

ラストの神谷さんの行動が賛否両論あるようだが、私はあのシーンは又吉さんの作者としてのあり方に首を傾げてしまった。あのシーンはつまり「美しい世界を、鮮やかな世界をいかに台なしにするかが肝心」という台詞にかかっているはずだ。感動的な漫才ライブ、神谷さんの賞賛、激励。これらを台なしにする展開。
しかし、その展開に対して主人公は神谷さんに畳み掛けるような正論を繰り出す。「自分の発言が誤解を招き、誰かを傷つけることを恐れた(作中、徳永の発言)」のだ、と私は思った。又吉さんは神谷さんになり切れなかったのだと思った。最後に言い訳をしてしまった。
更に、神谷さんなら悪気なく笑いのためにああいうことをしてしまう、という説明を、徳永を使ってしてしまった。神谷さんというキャラクターと、そこまで付き合ってきた読者を信じれば良かったなと思うのだが。そこまでは求めすぎだっただろうか。

 

以上5冊でした。
ちなみに作品名は挙げませんが、30冊中でこれはハズレたなと思ったのは3冊でした。
下半期も良い作品に出会えるといいなと思います。

私も5000兆円と書斎が欲しい。